見ることの塩 パレスチナ・セルビア紀行

四方田犬彦著。著者がテルアヴィヴとベオグラードの大学に招かれ滞在したときの見聞と思索を記した本。興味深く読み応えのある本でした。

見ることの塩 パレスチナ・セルビア紀行

見ることの塩 パレスチナ・セルビア紀行

本題ではないのですが、読んでまず著者のバイタリティに驚かされました。決して長いとはいえない滞在期間に、かなり多くの現地の映画人・知識人に会い取材し現地の資料を読んでおられます。本来の学者としての仕事とはいえコレだけでも大変なことだろうと思うのですが・・・さらに著者は何度も何度も政情不安などで「危険」とされている地域に分け入り、そこに暮らす市井の人々と言葉を交わしていくのです。

第1部 イスラエルパレスチナ(テルアヴィヴへの到着;ユダヤ人の定義不可能性;日常生活 ほか)
第2部 セルビアコソヴォベオグラードまで;理念の廃墟;敗戦国の街角 ほか)
第3部 見ることの塩(ブーレカを食べる人々;記憶の故障)

イスラエルパレスチナにしろ旧ユーゴスラビアの国々にしろ、私は正直なところ常々たいした関心を持っているわけではありません。テレビのニュースで見て「宗教とか民族で争うのは悲惨だなあ」という、通り一遍の感想を抱いて次の瞬間には忘れています。要するに他人事なんですね。おそらくこれからも、よほどのことがない限り他人事のままでしょう。


でも他人事であったとしても、同じ人間の営みには何らかの普遍的なパターンを見出すことができるのではないか、それを自分の周囲の世界の見方(例えば日本と韓国・北朝鮮などについて)に活かせるのではないか、という視点がこの本にはあるように感じました。イスラエルパレスチナと旧ユーゴスラビアでの見聞がひとつの著作になっていることで、その価値が生まれている気がします。


あと、このちょっとかわったこの題は高橋睦郎の詩の一節からとられたもの、とのこと。

私の見ることは 塩である
私の見ることには 癒しがない