日記と死

赤塚不二夫夫人死去のニュースを読みました。死亡記事に、ご本人のブログ記事が引用されていたので、のぞいてみると6月26日付で「じゃ、またね。(本人談/ICUより愛をこめて)」と結ばれていました。


赤塚不二夫公認サイト これでいいのだ!!
http://www.koredeiinoda.net/


看病をしていた妻が、意識不明で寝たきりの夫を残して急死ということで、勿論悲劇的なニュースでなんですが、このブログを読んだとき、私が感じたのは悲しいという感覚ではありませんでした。強いて言えば呆然とした・・・でしょうか、なにか忘れていた宿題を思い出したような感覚です。


ある人物の死が活字になるとき(テキストになるとき)どうしてもラストシーンから逆算して物語られることになります。「いかにして死に至ったのか?」「生前の○○な人物だったが晩年は・・・」「○○界において大きな損失だ」などなど。しかし、実際の日記にはそういう物語が無いことが多いですよね。多くの日記は生きている記録であって、死に至る物語ではないわけですから。


インターネットが普及してある程度の年月がたつので、サイトの管理人やブログの主が亡くなる・・・というケースをたまに見かけるようになりましたね。URLは失念してしまったのですが、以前マイナーな映画かテレビの情報を探していて見つけたサイトがありました。みると映画やテレビについてのメインコンテンツが3年ほど前で更新停止しています。掲示板は生きていて常連っぽいかたが数名が、それなりの頻度で書き込んでいるのですが、件の映画やテレビの話題がほとんどありません。


過去ログをしばらく読んで、合点がいきました。3年前に管理人が亡くなり、遺族と友人たちがサイトを存続させていたのです。そして掲示板は遺族と友人の連絡掲示板として機能していたのです。よく読むと管理人のお墓参りの日程の相談や、思い出話などが書き込まれていたのです。こういうサイトに出会ったときの気持ちを同表現してよいのかよくわかりませんが、なにかに心が揺さぶられ、やはり呆然としてしまったと記憶があります。