華氏911感想

小賢しい分析や論評をしようなんて、少しでも思った自分が馬鹿でした。実際に劇場で観てみると、映画作家マイケル・ムーアの憤りや哀しみや、やりきれない気持ち、理屈ではない切迫した感情がしっかり伝わってくる・・・そんな体験をしました。皮肉や風刺や政治的な意図以上のものが、この作品には焼きつけられていると感じたのです。
題材として取り上げている事柄や、ドキュメンタリー映画としての手法については、数多く論評されている華氏911ですが、私は観終わったあとにそんなことを考える気にはなりませんでした。ひたすら作家の姿勢に圧倒されてしまったのです。
映画に限らず、音楽や絵画や文学などの芸術には、作家がそれを創り出す動機があります。当然、特定の時代を背景にした、政治思想であったりする場合もあるわけです。いや、むしろ時代や政治や経済などの環境と無縁に、作品が作られていることの方が珍しいのかもしれません。
あまりにストレートなプロテストソングなどは、時代が変わるとあざとく陳腐に感じることもあるでしょう。しかし、そうした作品の中には、政治的な状況が変わり時代を経た後も、その輝きを保つものもまたあるのです。
私は華氏911は、作家の切実さが作品として昇華されていると感じました。この作品でのマイケル・ムーアは「ボウリング・フォー・コロンバイン」にくらべて突撃レポート芸を抑えていて、ユーモアはあるけれど、生半可は茶化しは無いです。チャチな皮肉に陥ることなく、映画に向き合って作られていると思いました。カンヌ映画祭の審査委員長、クエンティン・タランティーノが「政治は受賞に何の関係もない。単に映画として面白かったから君に賞を贈ったんだ。」と言った意味が今は良くわかります。華氏911は非常に政治的な作品でありながら、とても映画らしい映画だと思うのです。