ヴィレッジ感想

http://www.movies.co.jp/village/
どこを切っても思わせぶりな、シャマラン映画は観終わったあとも楽しめるのがいいですね。あそこはこういう意味だったんじゃないか?・・・良く観るとこうだったぜ・・・オチはこんな方がよかったよね・・・とか。そういう意味ではシャマラン映画は、お得なのかもしれません。

個人的には、以下のテキストを読んで、シャマラン監督作品を解読するキーワードとして「アメリカ」あるいは「アメリカと世界」を使ってみるのが、面白いと思いました。

基本として言えることは、この映画は、「スリラー」や「ミステリー」ではなく、現代とくに9・11以後、G・W・ブッシュとともに変わり始めた世界の空気に対するシャマランの心境がはっきりと出ている。9・11の直後に製作がはじまった『サイン』にも、アメリカ国内で起こりはじめた排外主義の要素が色濃く流れている。わたしはこの映画の思わせぶりなところに批判的だったが、『ヴィレッジ』とあわせて見直せば、考えがかなり変わるだろうと思う。

そういえば、これまでのシャマラン映画の登場人物は、アメリカの一面を象徴するするような職業についていて、挫折している設定のものばかりですね。しかもそれをハリウッドを代表するようなマッチョスターに演じさせています。


シックス・センス 患者を救えなかった精神科医 
アンブレイカブル 花形プレイヤーだった元フットボール選手
・サイン      廃業した牧師


主人公は挫折をきっかけに「変貌しまった世界」と向き合うことを常に迫られます。まるでB級映画の世界に放り込まれたかのようにです。ここで、アメリカ的楽観主義に基づく解決や未来が想起されるのですが、映画がすすむにつれて、期待したような筋立てからはどんどんズレていって、予定調和と思われたエンディングを迎えることが出来ない・・・というパターンが繰り返されているように見えます。
これらの登場人物は、つまるところ「アメリカ」そのものなのかもしれません。世界で唯一の超大国となったアメリカの歴史が、成功体験として物語化してしまっている・・・そんなアメリカの状況を、象徴的に切り出し問い直しているのかもしれません。
で、これを今回の映画にあてはめて考えるとどうなるのか


・ヴィレッジ セラピーに失敗した犯罪被害者たち


この映画では、外部と遮断されている古き良き村があり、そこには秘密があり森の向こうには別世界があるらしいということが、まず観客に提示されます。既に、ここでB級映画の世界に放り込まれてます。外の世界は一体どうなっているのか、なぜ遮断されいるのか?「実は荒廃した核戦争後の地球だった」「他の惑星へ移住する宇宙船の中だった」「村ごと幽霊だった」とかが予定調和として想起されます。

しかし、物語途中でそのなぞは登場人物によってあっさりと明かされます。外の世界は「現代のアメリカ」でなのです。隔離された村に住んでいるに過ぎず、死にかけている恋人も普通に手に入る薬さえあれば助かる・・・日常と地続きの世界であると知らされるのです。こうして、予定調和から物語はズレていきます。

センスオブワンダーもなければ、ロマンチックなアメリカ的楽観主義による問題解決も未来も提示されません。それどころか、村自体が犯罪によって「変貌しまった世界」と向き合った結果、作り出されたものであったにもかかわらず、村で犯罪が起きてしまい内部から変貌してしまった・・・という救いのないお話なんです。

ヴィレッジには過去の作品と違い、ハリウッドのマッチョスターは出てきません。かわりに盲目の無垢な女性が登場します。彼女は「世界と向き合う」役割を与えられませんが、盲目ゆえにシステムから自由であり、恋人を救うという個人的に差し迫った状況に全力で対処しようとします。イラク戦争後、メディアがの実質上の情報統制が行われているといわれる、アメリカを象徴しているキャラクターなのかも知れません。


ところで・・・。
「パクリ」「思わせぶり」「穴が多い」とか、この映画を批評することは、悪くないと私思っています。これだけ脚本、演出、プロデュースの才に恵まれた逸材M・ナイト・シャマランですから、ここから更なる高みを目指して欲しいし、そこで創り出す作品を見てみたいと思います。